私は忘れない。

2005年8月12日
この日、なにがあったかを。
私が、なぜ航空事故の解析に足を突っ込んだのか。

全ては、この日から始まった。

もう20年も経つのか。
それが、正直な感想です。

日航123便墜落事故。

天上に昇った520の魂に、改めて、合掌。

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という、殊勝なことを述べているのですが、このときわたしゃ高松の某ビジネスホテルでチューハイ片手にiBOOKをたたいていたわけで…

罰が当たったのか神戸発のバスに乗り遅れるわ、新神戸でやっとありついた新幹線の座席指定券が岡山どまりの「のぞみ」だわ、乗り継ぎの「マリンライナー」グリーン車は湘南新宿ラインのそれより窮屈だわ、挙句の果てには獲物の長尾線旧型車を対向列車から見送るわと、非常に香ばしい撮影行になりましたorz

しかしですね。

日航機墜落事故については腑に落ちない点も多いのは確かでして(しかしでつながらないという突っ込みは不許可)、圧力隔壁が破断したわりには与圧の抜けが非常にスローであること、にもかかわらずハイドロが全部抜けてしまっていることについてはいまだにつじつまの合う仮説が出てこないようで。
一部でささやかれている無人標的機の衝突であればその燃料の燃えカスやら機体のペンキやらが残っていても不思議じゃない上に、垂直尾翼をあれだけきれいに吹っ飛ばそうと思うと水平尾翼なんかも道連れになる可能性が大きいと思うのですが…当然、御巣鷹にたどり着くもっと以前に墜落していたことでしょう。ちょっと無理があると言うのが私の意見です。

ネット上に流出したボイスレコーダーの音声から見て、事故発生時の音は機長の言う「なんか爆発した」音というよりは「機体構造のどこかが単純に破損した」音にも聞こえます。

これはあくまでも私の仮説ですが、もともと隔壁の亀裂部から上昇するたびに少しづつ与圧が漏れているような状態だったというのは…やっぱり無理があるかな。
漏れた空気で垂直尾翼と尾部のAPU(補助電源装置)の周りとかに本来かからないはずの負荷が少しずつかかっていき、あの日、あの時間についに構造破壊に至った−そのあおりを喰って隔壁の補修部が完全に破け、隔壁の骨組み(スティフナ)が引っ張られ油圧配管を引きちぎった−どこか大きな抜けがあるような気もするんですが、残骸と生存者の証言を見聞する限り、急激な破壊はなかったとしか思えません。

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自分なりに調べを進めるうちに。ボイスレコーダーの音声を実際に聞くことが出来たのですが、御巣鷹山に激突する直前の機長の「あーっだめだ!」という声がこびりついて離れません。航空機パイロットとして機体と乗客を地上に戻せなかった無念がにじみ出ているような、そんな気がします。

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